黒色綺譚カナリア派第五回公演『眼だらめ』―美と幻想の崇高な対象―
黒色綺譚カナリア派第五回公演『眼だらめ』(作・演出:赤澤ムック)@ザムザ阿佐ヶ谷(2月2日(木)‐6日(月))/2日(木)初日観劇
出演
吉川博史・・・新樫(あらかし)/山下恵・・・楠子(くすこ)/中里順子・・・えんじゅ/吉冨亜希子・・・すずかけ/アイハラミホ・・・戸部羅(とべら)/ 小久保加織・・・柳沼(やぎぬま)/芝原弘・・・ニッケイ/穴田行央・・・柏(かしわ)/湯田昌次・・・犬柘植(いぬつげ)/ 赤澤ムック・・・鉄(くろがね)/眞藤ヒロシ・・・・柊(ひいらぎ)
赤澤ムックは桐朋学園芸術短期大学出身であるが、この短大卒の演劇実践家には地点の三浦基や青☆組の吉田子夏らがいる。要注目の演劇大学である。また赤澤へのインタビュー記事として「【黒色綺譚カナリア派】主宰赤澤ムックインタビュー~ぬるく生きるな~」がある。唐十郎へと傾倒しているだけあって彼女の美へのこだわりは半端ではなく、舞台美術だけでも価値がある稀有な上演。いわゆる「ネオアングラ」と呼ばれる部類に属すであろう黒色綺譚カナリア派は、例えばやはり同じくネオアングラと名指される毛皮族のようなより大きな劇団になるのは確実であり、必見である。
〈ネタバレ注意!『眼だらめ』超簡略梗概〉
話がリゾーム状に入り組んでいる、というかあっちこっちに散漫に飛ぶので(詰め込みすぎで疲れる)、纏めようがないと言えばないのだが一応試みる。
山村のヤブ目医者が雨降りに思い出すのは、
診療なまけで盲目になった女の事。
その湿度に眼の奥が痛むと、
村人達は彼の陰口を楽しみ、
彼は彼女の幻影に怯える。
無口な嫁との診療所には誰も来ない。
気の狂った輩が夜な夜な訪れるだけ。
ヤブ目医者が診る度1つずつ消えてゆく奴らの眼球。
輩の中には化け物が紛れているってさ。「目に見えるモノは嘘のモノ」(HPより抜粋)
とある村。廃墟を思わせる古書が所狭しと山積した家。そこには大学を卒業し開業医としてその村に赴いた新樫と彼の妻・楠子が住んでいる。楠子は梅毒で村八分にされていたがそれを哀れんだ新樫は彼女を妻とする。だが、これには排除され行き場をなくした楠子を妻とすることで村に溶け込もうとする新樫の思惑があった。そこにある土砂降りの夜、黒い外套に全身を包んだ一人の女性がくり貫かれた眼の入った箱を置いていく。
新樫はやぶ医者と呼ばれている。それは、彼が言うには、彼の処方に従わなかったため盲目となり死んだ女・鉄の一件があったためである(と彼は言う)。彼は彼女を愛しており彼女の死後も彼の幻想の中で彼女と語らい自己を肯定してもらいたがっている。だが、それは大学の医学部を卒業し、彼が言うには博士号も取得したにもかかわらず、前近代的な辺境の村に来ざるを得ない現実の自分からの逃避としての幻想なのだ。
その村には「目抜き」と呼ばれる原因不明の奇病が流行している。それはある日突然眼がくり貫かれるというものだ。その奇病を恐れる村人たちは。えんじゅという巫女の下に群がる。彼女の神通力はこれまで「目抜き」を防いできたと言う。しかし、彼女は彼女の処女が奪われて以来(処女を奪われる前は本物の神通力も多少はあったと言う)服従している犬柘植とともに、村人の不安に付け込んで「御光さま」=お金を奪い取るペテン師なのである。
ある日新樫の病院を訪れたえんじゅは、土砂降りの夜に箱を渡したのは自分だと告白する。ある死体からくり貫いたのだそうだ。そして彼女は自分がペテンをやっていることを告白する。それを盗み聞いた村人たちは絶望する。それを知った犬柘植は激怒し、今度は彼女の姉のすずかけを巫女に担ぎ上げようと目論む。
またある日新樫のもとにかつてのライバルだという柊がやってくる。彼自身「目抜き」に襲われそうになった経験があるらしく、彼曰く、ある女が眼を吸い取るらしい。彼はどういうわけか眼を吸い取って欲しいと願っている。
村人にペテンだと知れ疲れきり気が狂わんばかりの、えんじゅはすずかけを連れ出し自分の眼を吸い取るように言う。実はすずかけこそが「目抜き」をする眼を吸う女だったのである。そして吸われたえんじゅの眼には美しい花が咲き、すずかけの口にはやはり美しい花がある。眼を吸われたえんじゅは完全に正気を失う。
「眼」(eye/アイ)とは「私」(I/アイ)だとはよく言われることだが、彼女は「眼」を失うことによって今や何の力も失ってしまった「私=自我」も消滅させ、「自我」にまとわりつく様々な負の感情や他者の悪意から解放されようとする。新樫に見下され続けた柊も「眼」を吸われる事で、嫉妬や自尊心や他者の悪意にからめとられ苦しむ「私=自我」から解放されようとする。赤澤の言葉を借りれば、「潔く眼=私を捨てる」と言えようか。
ただし彼女らには現実からの逃避の側面もあるわけで、それが潔いのかどうかは判断に苦しむが、「私」を捨て去ろうとして、つまり現実からの逃避を試みようとして、逆説的に眼を失うというおぞましい暴力的な「現実への逃避」(大澤真幸の用語。詳しくは「小劇場系Reading Room」へ)を試みているのが興味深い。暴力的な現実へと逃避することは、現実に美的な崇高さを与えることに繋がる(廃墟をイメージすると分かりやすいだろう)。現実の暴力性を強調することは現実をロマンティサイズする(西欧のロマンティシズム運動と同様の論理)。彼らは「眼」を失うという現実の暴力性へと逃避することで、逆説的に現実の崇高化を試みるのである(そしてそれは赤澤の演劇実践ともどこか通底するもがある)。目抜きの後に咲く美しい花はまさにそれを表象するものだ。彼女らは現実の空虚さを嘆く台詞を何度か語るが、空虚がゆえに激しく暴力的な現実への逃避を通じて美と崇高さに満ちた濃密な現実を召喚したがっていたのである。
一方「眼」を失うことを極度に怯えるのは新樫である。彼は大学卒業後に大学病院からの誘いもあったこと、そしていつか村を出て大学病院に就職するのだということを幻想の中の鉄に語る。彼は鉄に自分を肯定してもらいたいのだ。彼の私=自尊心は村人の奇行を蔑み、梅毒の女を妻にするという侮蔑の裏返しでしかない哀れみなど、他者の排除に依存している。彼は自我理想の位置に立派な医者としての自分を置くという極めてナルシスティックな態度を取っている。そのため、そうした自己愛的幻想を支える「眼」=「私」を失うわけには行かないのだ。彼は自己愛を抱えながら生きていくことの何が悪いのか、と言うような言葉を終幕口にするのもそのためである。医者としての技量も投稿した論文も認められず医者としては回復不能の烙印を押されているという現実を見ることなく、新樫はただ膨れ上がった自尊心とそれを認めてくれる幻想だけを抱え生きていくのである。えんじゅや柊とは極めて対照的な生だと言えるだろう。
面白く拝見したのだが、詰め込みすぎの印象は拭えない。詰め込みすぎは観客を疲れさせるだけである。また人間関係の機微には興味ないのかかなり粗い印象も受けた。
〈「アングラ」をめぐって最近考えていること―演劇史的視点から―〉
赤澤が短大卒業後唐組に入団していることが示すように、彼女の唐十郎作品への傾倒ぶりはすでに周知のことであり縷説には及ばないだろう。彼女は黒色綺憚カナリア派(以下、黒色)において〈おどろおどろしいもの〉として私たち(60-70年代アングラ演劇を知らない世代)が了解しているイメージとしての「アングラ的」演劇を創造している。
周知のことながら演劇史的に見れば、アングラ演劇は、それまでの演劇のメインカルチャー/メインストリーム/規範であった〈新劇〉を仮想敵/他者として定位し、それへの反措定として自己規定することによって強烈な存在感をもって成立し得た「前衛」演劇である。良くも悪くも〈新劇〉が存在していたため、それを規範/既成演劇として参照することによって建設的に「前衛」が成立し得たのだ。
翻って現代の小劇場系演劇を考えると、それはメインカルチャーとしての演劇なきサブカル演劇であることを宿命付けられている。つまり余程敏感に日本の演劇史を意識しない限り参照可能な演劇というものが存在しない現在的状況の中で演劇を立ち上げなければならないのだ。そこではメイン=規範が存在しない以上「前衛」も存在し得ない極めて非建設的/非生産的な演劇しか構築不可能な状況にあると言わざるを得ない。そのような演劇的文脈の中で前衛としてのアングラを創造/想像することは不可能である。よって演劇史への意識を先鋭化しない限り演劇はなし崩し的に〈外部なきサブカル演劇〉となる。「外部がない」とはつまり参照軸の不在(演劇の建設的/生産的構築の不可能性)を意味し、それが現在的演劇の袋小路的状況を生み出しているのかもしれないと思う。
赤澤の演劇実践もアングラ直系と言うよりもむしろイメージとしてのアングラをアクセス可能な演劇的手段の一つとしてのみなしているに過ぎないのではないかと思う。アングラ的おどろおどろしいイメージを纏いながらも黒色の演劇が実際に参照しているのは唐に象徴されるアングラを含めた演劇史ではなくジャパニーズ・ホラー・ムービーや和風ゴシック趣味あるいは綾波レイに代表される戦闘美少女が登場するジャパニメーションといった非演劇的なものであり、やはり演劇史へと繋がる回路は断絶していると言えるだろう。その意味で、アングラとの関連が強調される黒色の演劇も〈外部なきサブカル演劇〉であり、アングラ的意匠を纏ったサブカル演劇である。
逆に、演劇史を参照することによってしか成立し得ない地点やチェルフィッチュの演劇実践は前衛と名指すことが出来るだろう。
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